二月半ばの聖バレンタインデーに25℃という夏日を記録したところまであった、めっきり暖冬傾向の今年の冬だった筈だのに。三月のっけのひな祭りは、それまでの暖かさを大きく裏切っての極寒の中に過ぎ。都内でも雪がちらつき、この冬一番、震え上がるような寒さとなった。
「まあ、元来の桃の節句は、もう1カ月後だから。」
太陰暦の三月三日は、今の暦じゃあ三月末か四月の頭。逆にいや、今の暦の三月三日では桃どころか梅がやっとという時期ではある。
「ネコヤナギも今時分だ。」
「おや、そうなんですか。」
さすがは物書きで意外なことをよく知っている勘兵衛の一言へ、そのネコヤナギの名の由来、ふわふわな綿毛の穂が例えられてる尻尾もあるのだろ。お膝に見下ろせる小さな背中、ゆったりと撫でてやりつつ、七郎次が感慨深げな顔をする。自分や勘兵衛には、幼い和子にしか見えないが、実体はメインクーンという仔猫でもある小さな坊や。お昼を過ぎてのおやつも済んだひとときは、やんちゃな気概もとろり蕩ける、お昼寝タイムであるらしく。耳を澄ませば小さな小さな唸り声、“ぐるるる…”という響きを喉奥に掠れさせ、目許に糸張り、小さな肢体をくるんと丸め。うつらうつらとお舟を漕いでいたりする久蔵で。そんな彼への遠慮もあってのこと、二人しか居ないというに、小声での会話を続ける主従だったりし。
「ここいらでは花屋でしか見ない花ですもの。」
「そういやそうだの。」
昔は川辺に生えてたし、趣味人の庭にも好んで植えてあったものだがと、旧家の家並みも多かった、実家のある辺りを思い出している勘兵衛へ、
「今はどのお庭も似たり寄ったりになってますからねぇ。」
町全体がお揃いの樹花で一斉に埋まってしまう光景というのも、それはそれで圧巻で見ものではありますが。ジンチョウゲに始まり、桜に木蓮、ツツジにサツキ。梅雨のアジサイを挟んで、クチナシの白に 夾竹桃の赤が緑に映える夏場を迎え。豪華なユリやカラー。秋に入れば、山々の紅葉や街路樹のイチョウの色づきと競うての、菊にコスモス、金木犀…と。せっかく四季のある国にいるのだ、その時期折々の草木を愛でたくもあるので。あちらのお宅では晩秋から冬にかけてはキンカンがなるとか、こちらのお宅は夏場の夾竹桃がそれは鮮やかでとか。そういう振り分けがあった方がなんて、呑気なことを話題にし、のんびり寛いでおいで。畳敷きの和室が消滅の危機にあっても、不思議とこっちは無くならぬ、やぐらゴタツを倉庫から引っ張り出したのは、急な寒さのぶり返しのせいもあったが、
「すっかりと気に入ってしまったようですね。」
冬毛仕様のいでたちの、見た目のふわふかさは伊達じゃあないものか。小柄で細身という風貌に響かぬ装いは、薄着に見えなくもないながら、それでも さほど寒そうにしちゃあいない坊やだったのだけれども。猫と言ったらこれだろうとばかり、もう三月になろうかという頃合いになってから、やっと思い出しての勘兵衛が持ち出したのが、今 彼らが座しているコタツであり。リビングセットをちょこっとずらし、こちらが真ん中になるようにとリビングに据えると、
『?? みあ?』
やはり見たことがなかったか、綿の入った布団を四方に広げたこれはなに?と、不審な奴めと、コタツからは目線を離さずの様子を見い見い、ちょこまかした足取りで周囲をぐるぐるしていたのも一時のこと。慣れた動作で布団をめくり、長い脚をば突っ込んで座った勘兵衛を見、何なに、もうネンネするの?と、傍らへまでを恐る恐るに寄ってゆけば、
『ほれ、捕まえた。』
『みゃっ!』
重みも厚みも頼もしい、大きな手に容赦無く捕まってのお膝へと上げられて。さてそれからは…布団の柔らかさとじんわり暖かいのが相当に心地よかったらしく。日頃はやんちゃにも リビングやお廊下を駆け回ってた筈の仔猫さんが、コタツを出して以降はというと、陽のあるうちであれ、勘兵衛や七郎次のお膝から、常以上に離れがたそうにしているばかり。とてちて駆け回るその足元が、あまりに薄着に見えるので、あれでは寒くは無いかしらと案じてばかりだった七郎次の杞憂も去っての、何ともほのぼのとした、いい構図には違いないものの、
「だがなあ。」
「どうしました?」
向かいの御主がミカンを剥いてる香りに気づいたか。こちらのお膝でうたた寝していたものが、綿毛のような髪、ふるるっと震わせ頭をもたげた幼子を手元へ見下ろして。稚(いとけな)い様子に頬笑みながら、敏腕秘書殿、何か問題でもありましょうかと、穏やかな声で訊き返したところが。伸ばした蓬髪に縁取られ、男臭さがいかにも滲んでの趣きある、伏目がちの感慨深げなお顔のまんま、
「昼寝をされると宵っ張りになってしまいかねぬから。早よう寝かせるのが一苦労になるかの。」
「……そうまで素のお顔で、一体 何を案じてますか。//////////」←あ
なんてな大人の会話というおまけも、あったり無かったりしたそうですが。
そ〜れはともかく。(笑)
島田先生のお仕事も依頼の谷間であるようで、家族揃ってのまったりのんびり、外の寒さも何のそのと、コタツにあたって過ごしておれば、
「………あ、は〜い。」
そりゃあ軽やかにも“りんご〜ん♪”と、玄関からの呼び鈴が鳴る。半お目覚め状態になってた仔猫の坊やを、テーブル越しに…それでも両手がかりという丁寧さで勘兵衛へと差し出した七郎次、そのまま たかたかとリビングを離れ、応対に出て行って。何刻かして戻って来れば、その腕には 一番小さめの箱売りミカン用くらいだろうか、小ぶりな段ボール箱を抱えている。どうやら宅配便だったらしく、
「木更津の弦造伯父様からですよ。」
「お。ということは。」
にこにこ笑顔の七郎次の言いようへ、勘兵衛までもが相好を崩す。伯父様という親しげな呼び方からしても、気心の知れた親類縁者からのお届けものであるらしく。
「今回はどうしましょう? フライにしますか? それとも さっと炙って酒の肴に?」
お馴染みなものであるのだろ、そんな訊き方をする彼が、
「やはり天麩羅が一番では?」
そうと告げれば、濃色の蓬髪もしっくりと馴染んだいい年頃の壮年が、妙に嬉しそうな様子になっての うんうんと頷いて見せる。そんな二人を見やりつつ、
「にあ?」
ただの箱を指して、なんでそんなに嬉しい時のお声なの?と。一向に話が見えないらしい久蔵が、頭上になってる勘兵衛のお髭、小さな猫パンチでちょちょいと撫でれば、
「おお、そうであったの。」
意が通じたか、放り出していて済まぬと勘兵衛が苦笑をし、七郎次もまた、
「おがくずが邪魔になって、匂いもしないのでしょうね。」
そんな言いようをし、二人の傍らまで戻って来ると。軽そうだのに両手持ちという丁寧な扱いをしていた小箱を、そおっとコタツの天板の上、久蔵にも見えるようにと置いてやる。なまものだのクール便だのと、カラフルなシールが貼られた箱の上部、透明なテープで封をしてあったのを、小物を収納した整理箱からもって来たカッターナイフで かりかりかりと。用心深くも そろりと切って。何でそこまで慎重なのかと、事情を知らぬ久蔵が小首を傾げて見やっておれば、
――― がささ、と。
箱の中で何かが動いた。えっ?と。さすがは野生の勘は鋭いということか、小さな肩やらお顔、首などが、ピクリひくひく、撥ねるように反応し。そして そのあまりの素早さや小刻みな撥ねようへは、大人二人がくすすと吹き出す。何なに何が入ってるの? ドキドキもするけど知りたい気持ちのほうが勝(まさ)ってて。勘兵衛のお膝に抱えられたまま、天板の上に載り上がらんという勢い、小さなお手々を天板の縁についての、懸命に身を延ばしてる。そんなおチビさんの目の前へ、
――― がさっ
先程よりも大きく動いた何かの気配。しかも“それ”は、箱の中に詰められたおがくず弾いて外へまで、その身をはみ出させての飛び出しかかったものだから、
「………っっ!!」
そんな突然の奇襲に遭って、ひゃあっと驚いただろう久蔵がどうしたかというと。びくくっと小さな肩すくめ、見るからに ぶるるっと震えはしたものの。小さな手は シャッと宙を掻いてもいて。
「おお、勇ましい。」
「そうですねぇ。」
得体の知れないものが相手なのですから、後先見ずに逃げ出すんじゃないかと思いました…なんて。ちょいと失礼な物言いをした七郎次にも、勿論のこと悪意はなかろう。だって、その箱から飛び出しかけた存在は。人にはさほど大きいものじゃあなかったが、小さな仔猫の久蔵には、結構な対比の大きさだったし。初めて見るなら、何かしら…謎の海洋生物に見えたかも。
「今度のエビは大きいですねぇ。」
「しかも活きがいい。」
細いおひげに細長い体。丸く曲がった胴には、濃褐色の縞も小粋な柄の。そう、まだ生きている車エビが入っていたものだから、どひゃあとビックリした久蔵だったのであり。片側の半分だけ開けられた蓋の上、おがくずの中から半身乗り出し ひょくひょくと蠢く謎の生き物、じ〜〜〜っと見つめるそのお顔は…やっぱり何とも真摯だったので。
「魚介だから狙ってるんでしょうか?」
「さぁて どうだろか。」
この子は高原の別荘地で出会った子だから、果たして調理前の“エビ”を知っているものか。ただ、潮の匂いは本能へと働きかけるものなのかもと、苦笑混じりに主従でそんな会話を交わしてから、
「さて。それじゃあ下ごしらえをして来ますね。」
再び立ち上がった七郎次。箱を引き取りキッチンへと向かおうとしたところ、
「にゃっ! にゃあっ!!」
「おお。」
日頃だったら勘兵衛に抱えられているのなら、シチはお仕事かと察しての見送るいい子の筈が、今日に限っては様子が違う。自分も行くのと立ち上がり、後追いしかかるものだから。こらこらと引き留める勘兵衛が、コタツにぶつかるほど前のめりとなったほど。そんな壮年殿の手を掻いくぐり、何事かと振り返った七郎次の足元へ たかたか追いついたおチビさん、
「にあっ、にぃあっ!」
七郎次を見上げると、とんとんと飛び跳ねまでして、何かをねだっているようでもあり。いつもと違うものといえば、
「何だい? エビさんをまだ見てたいのかい?」
せっかく活きがいいのだから早く下ごしらえしたいのだけれどと、困ったように眉を下げれば、ようやく追いついた勘兵衛が小さな坊やの胴を捕まえ、ひょいと抱えて目線を合わせて差し上げながら、こう言った。
「仕方がない。支度をするの、見せればよかろう。」
えっ?と意外そうなお顔になった七郎次だったが、壮年殿は動じもしない。
「この子はお主が、アジやカンパチ、3枚に下ろすのを見てもおろう。」
その伝で、エビもまた食べ物だとちゃんと判るのではないか?と、目許をたわめて微笑って下さり。自分もついておるからと、小さな坊や、キッチンまでを抱えてってくれたので。興味津々らしき久蔵への対処はお任せ出来るとしても、単なるお料理が とんだ見学者つきの公開調理の場と化したのであった。
◇ ◇ ◇
古い洋館のキッチンは、今風に色々と手も加えてあったが、それでもタイル張りの流しやフランス窓のような観音開きの小窓など、古風な作りなままの箇所も多々あって。床も、今時に多いリノリュウムやPタイルじゃあなくの板張りなまま。腰より上の壁や天井に塗られた漆喰の白が少しほど黄ばんでいるが、これでも丁寧に使っているほうで。窓が多い厨房内は、まだ照明は要らない明るさに満ちている。
「さて、それじゃあ取り掛かりますか。」
野菜やちくわに、冷凍してあった白身魚とイカ、ずらりと揃えて さあと腕まくりした七郎次であり。時折 思い出したように、江戸前のエビやらアナゴの蒸したの、天然もののアジの開きの一夜干しやらを届けて下さる、親戚筋の伯父様からの贈り物。一夜干しには覚えもあったろが、ここまで活きのいいのは初めて見たらしい久蔵は、深い目のボウルへと取り出されてゆくエビたちを、瞬きも忘れてじぃっと見守っていて。時折勢い余って調理台へ飛び出すのがあれば、懸命に小さな腕を掻いて“捕まえるの!”という仕草を見せてもくれたほど。中でも、
「おおっ。」
「あ、しまったっ。」
ぴょいっと大きく撥ねた1匹が、調理台の外へまで…落ちたのだか飛んだのだか、随分と遠距離を落ち伸びてしまったのへ、
「にゃっ!」
よじよじと身をよじっての勘兵衛の腕から抜け出すと、床をとたとた駆けてゆき、エビの後を追い始める。小さなエビだし、何と言っても陸の上。そうそう素早く逃れられたりしないとはいえ、
「久蔵?」
一緒に追いかけた勘兵衛では、上背があるのが仇になり、屈み込まねばならぬほど床が遠くて、お元気なエビが撥ねる動きに微妙に間に合ってないような。そんな彼の手の先で、もはやお膝を落としての四つん這い、にゃにゃっと両手で飛びついては すんでのところで逃げられるという、思わぬ鬼ごっことなってしまった小さな仔猫。2、3度ほど空振ってののち、
「みゃあっ!」
何とか捕まえたのを、さあどうするのかなと見ておれば。指は器用に動かぬか、覚束ない両手で挟んでよいちょと持ち上げて。まだ時々暴れるの、そのたび立ち止まっては めっと鋭い目許で睨んで叱りつつ、七郎次のところまでへと持って来る。そして、
「ん。」
どうじょと差し出すお顔の、なんとも誇らしげなことよ。わざわざ持って来てくれたのだねと、こちらも屈んでの真正面を向き合って、
「いい子だね、ありがとうvv」
確かにと受け取れば、にゃ〜vvと含羞むように微笑っての、それから。傍らにいた勘兵衛の、ズボンの脇を小さなお手々で掴みしめると、ねえねえと言う代わり、くいくいと引いて見せる。何を言いたい彼かはもはや慣れっこ、よ〜しと小さな身を抱き上げてやれば、勘兵衛の腕という高みから、つまりは 小さな彼だけでは到底望めなかった高さから、きれいに処理されたエビたちが、トレイへずらりと並んだ様子が視野へと入る。さっきまでじゃれてたエビの姿だが、特に驚いたりする様子はないままで、
“…よかったぁ。”
それで当然と思うのは大人の感覚。幼い子には、水槽で飼うと言い出す子もいる微妙な問題かも知れぬと、ついつい先走っての案じてしまった七郎次だったらしいが、
『それはなかろう。』
いくら我らには人の和子に見えていても、この子は野性の感覚が強い 猫の子だから。小動物なら飼ってみようという感覚はないのではと、勘兵衛の方はあっさりしたもの。そしてその通りでもあったというわけで。
「美味しいのを揚げますからね。楽しみに待っててくださいよ?」
いつもいつも期待を裏切らない名シェフが、優しい笑顔で約束すれば。幼いお顔が“にゃあvv”とそれは嬉しそうにほころんだのだった。
おまけ
「あれってエビだから捕まえたかったのでしょうか。」
「さて、どうだろか。潮の匂いに誘われはしただろうが。」
「違いますかねぇ?」
「どちらかというと、動いたので追ったという順番ではないのかの?」
そうと言った勘兵衛様が、ほれと目線で示した先では。ガラスの小鉢へとぷるんと盛られた、淡いピンクの桃ゼリーを前に、
「?? にゃ?」
テーブルに手をついた反動、ゆらんと震える不思議な物体。やわらかいけどピンクトパーズにも見えるほど、それは綺麗でクリアな塊。小さな手が伸ばされれば、またまた震えるゼリーなのへと、おっかなびっくり触るに触れず。どうしてくれようかと思ってだろう、あっちからこっちから眺めておいでの仔猫さんがいたりする。
「…あれも、生きてると思ってるんでしょうか。」
「いやいや。動きに誘われてるだけだろうさ。」
勝手にゆらゆら動くものだから、ついつい本能が騒ぐのだろうよと。いかにもな春色のスィーツと睨めっこする小さな坊やへ。お顔が透けてるこちら側から、大人二人が微笑んで見せたりするのだった。
「ところで勘兵衛様。」
「何だ?」
「コタツで座椅子に座ってて、
腕組んでの仰のいたまま寝てしまうのは、お願いですから辞めてくださいませんか?」
「まずいのか?」
「そのうち首の筋を違えてしまいます。」
「だが、猫背に丸まってしまうよりはマシであろうが。」
さぁて、どうでしょか。またぞろ久蔵が真似をしますよ?(苦笑)
〜どさくさ・どっとはらい〜 09.03.04.
*笑い話じゃあなくの、
活けのカニやエビを贈られて、
でも子供が飼うんだと駄々こねる話はよく聞きます。
それとは逆に、
水族館で、アジだのカニだのの水槽前で、
美味しそうだねと口にする子供もいるそうな。
どっちも間違ってはないよね、うん♪(う〜ん)
めるふぉvv 

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